このページの本文へ移動
東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典
消防雑学事典
?火災保険のはじまり

mark  わが国で保険制度が始まったのは、江戸時代の末期のようです。
 江戸幕府は安政5(1858)年、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと相次いで修好通商条約を締結し、外国貿易の門戸を開きました。これに伴って外国の保険会社がわが国に進出し、商館を代理店として、主に海上保険の営業を開始しました。損害保険等の保険制度は、外国で考えられた制度です。
 わが国に保険の考え方を紹介したのは福沢諭吉で、慶応2(1866)年に発刊した『西洋事情』の中で「火災請負ひ(火災保険)」、「海上請負ひ(海上損害保険)」のことについて解説しています。
 また、翌慶応3(1867)年に刊行した『西洋旅案内』の中では、保険の仕組みを「災難請合の事−イシュアランス−」という表現で、次のように述べています。
 「災難請合とは、商人の組合ありて、平生無事の時に人より割合の金を取り、万一其人へ災難あれば、組合より大金出して其損亡を救う仕法なり。其趣旨は、一人の災難を大勢に分ち、僅の金を棄て大難を遁るる訳にて・・・」と、生涯請合(生命保険)、火災請合(火災保険)、海上請合(損害保険)の三種の災難請合について説いています。(注・イシュアランスは、insuranceの誤読と思われる)
 その後、明治2(1869)年、山東一郎編の『新塾月志』の2月号には、「インシュランス」を支那語に訳すと、「保険又は担保」という文字を当てるという記述があります。訳語にはウケアイというふりがながついており、ほかにも請負、受合、担保という文字も使われています。
 「保険」という文字が使われるようになったのは、明治10年代に入ってからのことでした。
 火災保険は、イギリスで1710年に、「サンフワヤオヒス」という保険会社が、創設されたのに始まるといわれています。また、わが国では、明治21(1888)年10月1日、東京火災保険会社(現・安田火災)が業務を開始したのがはじまりです。
 わが国で火災保険が誕生するまでには、いくつかの経緯を経ました。以下、その概略を紹介します。
 明治初期、わが国では、外国の新しい制度や技術を導入するため、これらのことを専門とする学者や技術者などを雇入れ(お雇外国人と称した)、それぞれの基礎を築きました。
 火災保険制度もその例に漏れず、ドイツ人のパウル・マイエット博士によって種がまかれました。博士は明治11(1878)年4月、「日本家屋保険論」という講演を行い、その中で、「火災保険は国民生活の安定、財産の保護、産業の発達に多大の効果があり、日本には水火災の被害が毎年膨大な額に達するにもかかわらず、保険制度が存在しないことは遺憾であり、国営火災保険を早急に実施すべきである」と提言しています。これは、博士の母国ドイツの「公営強制火災保険制度」の影響を強く受けたものでした。
 当時、参議兼大蔵卿であった大隈重信は、この提言に共鳴し、明治12(1879)年4月、博士を大蔵省顧問に迎え、同年5月7日、大蔵省内に火災保険取調掛を新設して、各種の家屋の価格や現存する家屋数等の調査を開始しました。

東京府知事に提出した
火災保険会社の創立願書

東京府知事に提出した火災保険会社の創立願書  明治14(1881)年7月、調査結果に基づいて作成された「家屋保険法案」が太政大臣に提出されましたが、この法案に対し、当時、イギリス自由主義の旗頭であった田口卯吉は、「火災保険の趣旨には賛成するが、国が強制するのは自由の精神に背くもの」と反対意見を述べ、また、内務卿松方正義も、「明治10(1877)年の西南の役によって、政府の財政は疲弊しており、人民にも地方税、備荒儲蓄法等の新たな税負担が相次いでいる時に、家屋保険を強制することは受け入れがたい」と反対したことから、明治15(1882)年、参事院は、太政大臣に対して、財政難と市民の負担増を理由に「火災保険は民営とし、これを保護することが良策である」と上申しました。これを受けて太政大臣は、「家屋保険法案」の廃案を決定し、国営保険制度は頓挫しました。
 数年後、前記に関連した官立保険局設立計画書を参考として、有限責任東京火災保険会社(安田火災の前身)が、わが国初の民営火災保険の創設を計画し、明治21(1888)年10月1日、火災保険業務を開始しました。これに引き続き、明治24(1891)年に明治火災、明治25(1892)年に日本火災が創業しています。
 現在、火災保険料は、建物の所在地や建築状態、用途、環境などによって、料率の算定が行われていますが、スプリンクラーや消火栓設備などの消防用設備を備えることによって、保険料が割り引かれています。
 なお、地震保険の制度は、昭和39(1964)年6月16日に発生した新潟地震を契機に、昭和41(1966)年6月に発足しました。



戻る