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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典
消防雑学事典
火事装束の今昔

 浅野長矩(ながのり)が松の廊下で刃傷(にんじょう)に及んだ翌年の元禄15(1702)年12月14日に、大石良雄率いる赤穂浪士47人が本所松坂町の吉良義央邸に討ち入り、主君の仇討の名のもとに義央の首級(しるし)を挙げました。
 明けて2月には、討ち入り賛否両論が渦巻くなかで、大石らは切腹となりましたが、室鳩巣はさっそく『赤穂義人録』を書いて、浪士に絶賛の詞を贈っています。人形浄瑠璃および歌舞伎としての『仮名手本忠臣蔵』が武田出雲らの合作でつくられたのが寛延元(1748)年のことでしたが、同年の8月には竹本座で初演されました。
 赤穂浪士討入りの場面で人目を引くのが、浪士の装束です。それは、大阪の侠商天野屋利兵衛が、刀や槍などと共に調達したといわれる火事装束でした。なぜそんな装束にしたのかについては諸説ありますが、おそらく、太平の町を堂々と徒党を組んで歩いても不審がられずに済んだからと思われます。
 現在は、消防隊員が火災現場へ出場するときに、主に、ゴールドの防火服を着ていますが、江戸時代には火事装束と呼ばれるものを用いていました。もっとも、この装束は以前からあったものではなく、明暦3(1657)年の大火後に生まれたものでした。
 備後三次五万石の領主、浅野因幡守長治の屋敷は外桜田にありました。明暦の大火の最中の正月19日、長治は江戸城本丸の焼失を知って御機嫌伺いに出かけましたが、途中で井伊掃部頭直孝の行列に出会いました。もちろん、周囲は火の海で、火の粉が飛びかっていました。みると、侍従たちは、みな木綿羽織でしたから落ちてくる火の粉を払うのさえ大変でした。長治と直孝は革羽織を着ていましたから、火の粉に焼ける心配もなかったのです。

刺子半天
刺子半天  これが契機となって、それからは中間、小者に至るまで火事のときには革羽織を着るようになり、やがては火事羽織と呼ばれる火事装束が誕生することになったのです。
 長治らが着ていた革羽織は、松葉の煙でいぶして仕上げた燻革の羽織でしたが、後には羅紗や雲斎織などの厚手で堅牢な生地が用いられるようになりました。形式の完成した火事装束は、ぶっさきの羽織に胸当てと石帯(せきたい)、被りものは錣(しころ)付きの兜頭巾となりました。
 火事装束は急速に普及し、将軍をはじめ大名の奥方の欠かせない装束としても使われるようになりました。


大名奥方火事装束
大名奥方火事装束
 女性用のそれは男性用と比べて色彩も華やかで、精巧な刺しゅうが施され、頭巾が烏帽子(えぼし)型をしているのが特色で、奥方の火事装束は、嫁入り道具の必需品とされていました。
 一方、町火消の火事装束は、木綿製の長半天や法被(はっぴ)が用いられていました。草履(ぞうり)ばきのままではける刺子の股引に、ひざ下までの刺子半天を着込み、頭には大きな猫頭巾を被り、手には親指だけが分かれる長めの手袋を、足にはコハゼのない足袋(コハゼは熱くなるので付けなかった)を履いたのです。
 火事装束に関連して、いろいろな呼び名があります。火消の半天は、半(絆・袢)纏とも書き、しばしば法被と混同されます。一般に、半天は江戸のものであって、法被は上方のものといわれていますが、両者の違いは次のようです。
半天:
丈短く、袖短く、袖口小さく、紐なし、襟を反さないで着る
法被:
丈長く、脇あき、広裾、袖長く、襟紐あり、襟を反して着る

 歌の文句に「紺の法被の襟元に、火消し頭と書いてある」とありますが、襟は反して着るものでした。
 刺子とは布地を細かく、いわゆる雑巾刺しに縫ったものでつくった衣服の呼び名で、江戸時代に使われだし、防火被服を代表するものでした。
 防火被服としての刺子は、木綿製の布地を二重三重に重ね合わせてつくられていますから、吸水性に富んでいます。乾いたままでは火事場の熱を多く吸収してしまうので、火事場に赴く時には、頭から水をかぶって出場するため、水を含んだ刺子は相当の重量となり、迅速に活動することはできなかったようです。
現代の防火衣
現代の防火衣
 現在東京消防庁で使われている防火被服は、上衣とズボンで構成される防火衣、錣付防火帽、長靴、手袋からなっています。
 防火衣は、多層構造で、外面の素材は、機械的強さ・耐熱性に優れた芳香族ポリアミド繊維製、内側の層には透湿性と防水性のある被膜を貼り付けた生地を使用しています。消防隊員の身体を熱から守るための遮熱は外側の生地と内側の生地の間に空気層を設けて、確保する構造としてあります。また、消防隊員は真夏でもこの防火衣を着る必要がありますから、防火衣内の温度が過度に上昇しないよう、防火衣の内側に冷却材を入れるポケットを背中や脇の下に付けるなどの各種の工夫が施されています。
 錣付防火帽には、顔面を守れるように顔面保護板という防火帽本体に出し入れ可能の透明な板が付いています。
 長靴は、ゴム製で釘等を踏み抜かないように底部に鋼製の踏抜き防止板が入っています。また、つま先には、金属製の保護用の芯が入れてあります。
 手袋は、高強度の芳香族ポリアミド繊維を主体としたもので、消防活動中にガラスやトタン板でのけがを防いでいます。
 最近では、消防隊が着る防火衣も国際化が進み、ISO(国際標準化機構)で国際的な基準を定めています。東京消防庁で使用している防火衣も耐炎性能、熱防護性能、生地強度、耐薬品の性能など、国際規格に適合するものとなっています。
 現在、使用されているセパレート式防火衣の重量は、約4キロですから、昔の火事装束に比べればずっと軽くなっています。しかし、鳶口一本だけで活動した昔とは違って、複雑多岐にわたる都市災害に対処する現在の消防活動には、空気呼吸器、ロープなど、種々の器材を携行して活動するため、消防職員が身体に付ける装備品や携行する器材を合わせると、その重量は約20キロにもなり、相当体に負担がかかります。
 消防職員が毎日訓練を重ねて体力を養っているのは、このような重装備を身に付けたうえで、十分消防活動ができるようにすることも目的の一つになっています。




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