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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。


消防雑学事典
消防活動のライフライン

今日の高度に発達した情報・通信化社会では、電波を用いて映像・音声・信号・符号などの情報を送受信する無線通信は、有線通信に対応するものとして重要な役割を果たしています。
一般的に電波は、光や音に比べて遠方まで到達することができるため、遠距離や海などを越えての通信に適しており、また、自動車、船舶、航空機など移動するものからの唯一の通信手段に用いられています。

無線通信には、無線電信、無線電話、レーダー、放送、データ通信などの種類があります。
無線の歴史を見てみますと、イタリアの電気技術者M・マルコーニが1895年に無線通信装置を発明し、翌年企業として成り立たせるため、イギリスに渡って特許を取得、1857年に、マルコーニ無線会社を創立させたことに始まるといわれています。

日本における無線の導入は、明治時代の中頃で、当初、海軍が力を入れていました。
特に、日露戦争の日本海海戦(明治38年5月)で、信濃丸から発せられた無線(電報)による「敵艦見ゆ」という信号が有名です。
このことを契機に、無線の有用性を多くの人たちが認識したといわれています。

これ以前、ことに江戸時代までは、武士などが至急親書を遠方に届けるのに、飛脚や早駕籠などに頼っていました。
たとえば、赤穂浪士が吉良邸に討ち入るきっかけとなった、元禄14(1701)年の「殿中刃傷事件」が赤穂に伝えられたのは、早駕籠で事件発生後5日たってのことだったといわれています。
通信手段が発達している今日では、瞬時にして伝わるところですが。

また、1912年4月14日、英国の豪華客船タイタニック号が、ニューヨークに向かう処女航海中、大西洋上で氷山と衝突し沈没した際に、無線電信で救助を求めることによって、乗客など700人近くの人が救助されたことは、当時、奇跡的な出来事として、その価値が大いに高まりました。

第二次世界大戦時には、防空対策としてレーダーが実用化され、終戦後はマイクロ波を利用する時代となり、またトランジスタが開発され、無線通信の送受信機の小型化・携帯化が可能となりました。

現在東京消防庁では、東京都23区内からの119番通報は、千代田区大手町の本部庁舎に設置されている「災害救急情報センター」が、また、多摩地域内の119番通報は、立川市に設置されている立川消防合同庁舎に付設された「多摩災害救急情報センター」が受信し、各消防署に消防ポンプ車、救急車などの出場を指令しています。

このセンターでは無線を利用して、災害現場などに出場している消防ポンプ車や救急車などに対して、現場活動に必要な情報をタイムリーに送信し、効果的な消防活動を支援しています。

一方、災害現場からは本センターに対し、災害状況の報告や応援の要請などが行われています。



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