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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典
消防雑学事典
火事があると電話局が困る

 グラハム・ベル(米)が電話機を発明したのは1876年のことで、この年には発明王エジソンが蓄音機を発明しています。
 翌明治10(1877)年の11月には早くも電話機が2台日本へ輸入され、明治11(1878)年には国産第一号の電話機が作られました。
 明治18(1885)年、東京と横浜の間で市外電話の通話試験に成功、この年、逓信省が創設されました。東京―横浜間で、わが国初めての電話の交換業務が開始されたのは、明治23(1890)年12月16日のことで、このときの加入電話数は197機(東京155、横浜42)、電話所(現在の公衆電話の初期のもので、電信局窓口に設けられていた)は、16か所(東京15か所、横浜1か所)でした。

119番・火災報知機の使用説明ラベル
119番・火災報知機の使用説明ラベル  電話の設置についてのエピソードを紹介します。電話交換業務創業の前年に、東京で伝染病のコレラが流行しました。このころは電話交換の公開実験を行っていたときでしたから、「電話は声をよく伝えるくらいだから、きっとコレラも媒介するのではないか」との噂が広がって、電話をつけるのをしりごみする人さえあったというのです。これは、「電話線に荷物をぶら下げれば先方に届くだろう」という話と共に、当時としては笑えない真剣な話だったようです。

 明治20(1887)年5月、消防隊への出場指令などを早めるために、消防への電話の導入が検討され、消防本署(現在の東京消防庁本庁の前身)と消防分署(現在の消防署の前身)との間に電話を架設することが決定され、消防本署と幸橋・万世橋・浅草橋の各派出所との間に、電話架設工事が始められました。
 電話による火災通報が始まったのは、明治20(1887)年の末で、電話局では緊急優先の取扱いをしていませんでしたから、その目的を十分に果たせませんでした。
 火災報知用の専用電話が制度化されたのは、大正6(1917)年4月1日で、その仕組みを東京毎日新聞は、次のように紹介しています。
 「火事を発見したる者は、附近の電話または自動電話にて電話局へ単に『火事』と知らせ、受話器を耳に当てておれば、交換局にてはただちに消防署に接続するをもって、消防署の係官が電話にいでしときその場所を告ぐる仕組」(大正6年3月31日付)
 新制度に対する市民の期待は大きなものでしたから、「いよいよできる『火事の電話』大切な最初の5分間、緒方消防本部長の骨折」とか、「火事を知らせる電話いよいよ4月1日から実施、鐘が鳴ってからは掛けるな」などと、にぎやかに事前報道されました。こうして発足した火災報知電話が最初に使われたのは、4月1日の早朝の火災で、日本橋本石町からのものでした(2日付報知新聞)。
警視庁庁舎における指令室(昭和24年)
警視庁庁舎における指令室(昭和24年)
 さて、ここで困ったことが起きました。それは、相も変わらぬいたずら通報や火事の問い合わせ電話です。当時の様子を小崎政臣氏が書いた「火事があると電話局が困る」という随想が、端的に言い表していますから、それを見てみます。
 「手動式交換でもっとも困るのは火災の時である。このときは局内総動員で交換に従事するが、一人でいちばん少ない時でも、200人以上の加入者を受け持ち、しかも接続ひもが、16対立しかないのであるから、到底応じきれない。ことに火事はその多くは夜間であるから、宿直者は少ないから一層困る。そして現実に火事でなくとも、消防自動車が通行すると、その方面の加入者から問合せがあるし、また火事の問合せもなかなかくどいのがある。
 本来ならば電話局としては、交換作業のみが役目であって、火事の問合せとか時間の問合せとかは、応ずるかぎりではない。それは火事の問合せがあるために、肝腎の消防上の電話呼出の応答が遅くなったり、その他、より以上重要なる通話が妨害されることがある。電話局としては、加入者がどんな話をするかは不明であるから、呼出の順に応答するよりいたし方ないのである」と記しています。
 一方、火災の問合せの他に、いたずら電話も後を断たなかったことから、大正6(1917)年の4月3日には緒方消防本部長の談話として「故意にいたずらから電話を使用するような不心得者があったとしたら、警察犯処罰令その他の法規に照らして厳重に処罰するはずである。また、警務部長からは、市内約46,000個の電話所有者に対して、各所轄警察署長から注意をさせることになっている」と厳重な注意が、東京毎日新聞の紙上を通じて報じられました。
 火災の通報は、当初は有料でしたから、往々にして火災通報の機会を逸することがあり、大正8(1919)年4月1日からはすべての火災報知通話料は、無料で扱うこととなりました。

現代の災害救急情報センター
現代の災害救急情報センター
 自動交換方式が採用されたのは、大正15(1926)年1月20日のことですが、このときにはダイヤル112番が火災報知専用の番号とされました。一刻を争う危急のダイヤルであるため、ダイヤル時間の短い番号として指定されたのですが、ダイヤル方式に不慣れなためか誤接続が多くあり、昭和2年10月1日からは、地域番号(局番の第一数字)として使われていない“9”を使うこととして今日の119番が誕生しました。
 その後の119番の受信体制の移り変わりを見てみますと、自治体消防として歩み始めた昭和24(1949)年には、それまで各消防署で受信していた119番を、集中管理する方式に改め、警視庁内の東京消防庁本部庁舎内に「通信指令室」を設置しました。
 これによって、89回線の119番が指令台に収容され、火災・救急業務は、一斉指令による出場指令方式となり、出場指令の効率化が図られました。
 今日、東京都23区内の119番は、千代田区大手町にある東京消防庁本部庁舎内の「災害救急情報センター」が、また、多摩地域内の119番は、立川市にある立川消防合同庁舎内の「多摩災害救急情報センター」が受信し、出場指令を出しています。

 さて、現在の119番は、一日にどのくらいの割合でかかってくるでしょうか。東京消防庁では平成11年の1年間に、103万件の119番通報がありました。
これは一日平均で、2,800件あまり、実に約31秒に1回の割合で、災害等の通報を受信したことになります。
 また、救急は一日平均1,400件あまり(約59秒に1回)、火災は一日平均19件出場していることになります。
 最近、各種の電話が普及したことを反映して、携帯電話からの119番通報も多くなっています。移動しながら通報するために、災害現場の所在確定に時間を要することがありますので、災害現場の所在地等を正確に伝えてほしいものです。

 多くの人たちに利用されている119番ですが、今日では、秋の火災予防運動の初日に当たる11月9日を119番の日としています(昭和62年制定)。
 なお、警察の110番は、昭和23(1948)年10月10日に、GHQ(連合国軍総司令部)の示唆などがあって定められたものです。
 東京消防庁では、119番の受信体制とは別に、昭和46年に消防テレホンサービスを開設し、「火災等の問い合わせや消防相談」に24時間体制で対応しています。平成11年中に約31万件、一日平均844件の問い合わせ等が寄せられ、そのうち約91パーセント近くが、救急医療機関等に関するものでした。

119番通報のしくみ




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