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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。


消防雑学事典
消防車はなぜ赤い

女性にとって色彩は、大変気にかかるものです。 こんな話をどこかで聞いたことがありませんか?

「あなたはいいわネ、黄色やオレンジの明るい服が着られるんですもの。私なんかだめだわ、黒や紺系統ばっかりよ」

黄色を境に、緑、青、紫へ向かうほど寒色系となり、落ちつきが増し、暗く物が縮まって見えます。
一方、ダイダイ色から赤へ向かうと暖色系となり、強い刺激を感じさせ、物がふくらんで見えるのです。 ですから、前出の女性は肥っていることを気にしている人だったのでしょう。

緊急自動車を赤や白に塗色しているのも、色彩が人間の感覚に訴える効果を担うことがもとになっています。

では、消防自動車は、なぜ赤いのでしょうか。
それは、「道路運送車両の保安基準」という運輸省令(昭和26年7月28日第67号)で決められているからなのです。

第49条第2項には、
「緊急自動車の車体の塗色は、消防自動車にあっては朱色とし、その他の緊急自動車にあっては白色とする」と定められています。
一般に消防車は赤といわれていますが、法規上は朱色なのです(以後は便宜上、一般の呼び方に従い赤といいます)。

消防車が赤色とされた理由は定かではありませんが、外国から輸入した蒸気ポンプや消防車が赤であったことから、わが国でも赤色としたというのが一般的な理由のようです。
それに、赤色は注意をひく色であること、炎の赤を連想させ警火心を起こさせるなども理由の一つに数えられるでしょう。

   赤バイ(牛込消防署)
救急車は、その他の緊急自動車に分類されますから白色ですが、側面には赤の一線が入っています。

この赤線は、昭和11(1936)年1月20日に東京の救急業務を開始するに当たって、(財)原田積善会から寄贈を受けた6台の救急車にも入れられていたもので、当時の東京朝日新聞には「純白に赤線を引いた6台の救急車」を紹介されています。

東京の救急業務は、すでに日本赤十字社東京支部が2台の白塗り救急車をもって行っておりましたから(昭和9年12月29日開始)、これと区別する意味から赤線を入れたとする説と、消防部が行うものであるから消防車の赤を入れたとする説などがありますが、現在では各消防本部などが定める内部規程によって運用されています。

外国の消防車の色について見てみますと、フランス、イギリス、スイス、オーストリア等では赤色、ドイツでは赤または紫色、アメリカでは消防局によって色が異なり、赤・白・黄・青・黒色などを用いているようです。

消防車の赤に関連して、交通渋滞が著しく、消防車の火災現場到着の遅れが問題となってきた昭和40年代のはじめのころ、赤色灯とサイレンを付け、消火器を積んだ消防の赤バイが誕生しました。
大阪市消防局では、東、西、南、北の各消防署と東住吉消防署にそれぞれ1台ずつ配置して、昭和41(1966)年12月1日から運用を開始しました。 このオートバイ隊は敏動隊と呼ばれました。

一方、東京消防庁では昭和44(1969)年の10月1日から日本橋、小岩および立川の各消防署が所有していた単車を改良し、赤バイとして暫定運用を始めましたが、昭和46(1971)年2月15日からは、オートバイ(ホンダ・350cc)を新たに購入し、日本橋、牛込、小岩の各消防署で正式運用が開始されました。

そして、昭和51(1976)年3月のある日のマンション火災では、赤バイが一番乗りをして、逃げ遅れた人を救助し、新聞でも大きく取り上げられました。

このように活躍した消防の「赤バイ」でしたが、東京では昭和51(1976)年の5月20日をもって廃止されました。

しかし、平成7年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)」で多数の建物の倒壊によって道路が使用できなかったことの教訓から見直され、以前の「赤バイ」ではありませんが、大震災時の情報収集活動用として平成7年に都内の各消防署にバイクが配置されています。




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