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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典

このページは、新 消防雑学事典 二訂版(平成13年2月28日(財)東京連合防火協会発行)を引用しています。
最新の情報ではありませんので、あらかじめご了承ください。


消防雑学事典
防災の日と二百十日


防災の日は、昭和35年(1960)年6月11日の閣議で、9月1日を防災の日とすることが了解されたことに始まります。

9月1日を防災の日とした経緯は、以下のとおりです。
9月1日は、関東大震災が発生した日であるとともに、暦の上では二百十日に当たり、台風シーズンを迎える時期でもあり、また、昭和34(1959)年9月26日の「伊勢湾台風」によって、戦後最大の被害(全半壊・流失家屋15万3,893戸、浸水家屋36万3,611戸、死者4,700人、行方不明401人、傷者3万8,917人)を被ったことが契機となって、地震や風水害等に対する心構え等を育成するため、防災の日が創設されました。

次に、昭和35年9月1日発行の官報資料に登載された「防災の日」の創設に関する記述を紹介します。

「政府、地方公共団体など関係諸機関はもとより、広く国民の一人一人が台風、高潮、津波、地震などの災害について、認識を深め、これに対処する心がまえを準備しようというのが、『防災の日』創設のねらいである。もちろん、災害に対しては、常日ごろから注意を怠らず、万全の準備を整えていなければならないのであるが、災害の発生を未然に防止し、あるいは被害を最小限に止めるには、どうすればよいかということを、みんなが各人の持場で、家庭で、職場で考え、そのための活動をする日を作ろうということで、毎年9月1日を『防災の日』とすることになったのである」と、制定の主旨が記されています。

また、昭和57年からは、9月1日の防災の日を含む一週間を防災週間と定め、各関係機関が緊密な協力関係のもとに、防災思想普及のための行事や訓練などを行っています。

伊勢湾台風の被害を報じた朝日新聞
伊勢湾台風の被害を報じた朝日新聞
防災の日に関連したことですが、古来わが国では、二百十日は暦の上で雑節の一つとして、立春から数えて210日目の日で、太陽暦では9月1日ころにあたり、220日目の二百二十日とともに、台風が来襲する厄日とされています。

それはちょうどこの時期が稲の開花期にあたり(最近は稲が改良されたことにより開花期が早いものもある)、台風が来襲すると稲作に大きな損害を被ることを警戒する目印にした日とも考えられます。

統計的にはこの日、特に台風が来襲しやすいというわけではなく、台風期を控えての警戒期と考えられます。

昭和20年代以降今日まで二百十日に当たる9月1日に、わが国に来襲した台風は、昭和24(1949)年9月1日のキティ台風のみです。
統計的にみますと、台風来襲の特異日があります。それは9月16日と9月26日で、過去に大きな被害を発生させています。

9月16日に来襲した台風は、アイオン台風(昭和23年)、第二室戸台風(昭和36年)で、9月26日に来襲した台風は、洞爺丸台風(昭和29年)、狩野川台風(昭和33年)、伊勢湾台風(昭和34年)です。

ところで、「防災」とは、どんな言葉の意味を持っているのでしょうか。広辞苑には、「災害を防止すること。」と簡記されていますが、災害対策基本法では、「災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、及び災害の復旧を図ることをいう」(第二条第二号)と定義しています。

なお、広辞苑に「防災」という語が載せられたのは、昭和44年(1969)年5月の第二版第一刷からで、昭和30(1950)年5月に発刊された初版本には載っていません。





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