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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典
消防雑学事典
震災対策のはじまり

 東京に大きな被害を及ぼした地震としては、安政江戸地震と関東大地震が挙げられます。
 安政江戸地震は、安政2(1855)年10月2日22時ころ発生し、マグニチュード6.9で亀有・亀戸線上の直下型地震でした。この地震では4,741人の死者が発生、1万4,376戸の家屋が倒壊しました。

関東大地震を報じた大阪毎日新聞号外
関東大地震を報じた大阪毎日新聞号外
 関東大地震は、大正12(1923)年9月1日11時58分44秒に発生し、マグニチュード7.9で、伊豆大島付近を震源とする海洋型地震でした。東京での被害は、焼失家屋22万1,718棟、焼損面積38.30平方キロメートル(東京ドームの約1,400倍の広さ)、死者6万420人、行方不明3万6,634人、傷者3万1,051人で、その被害の大きさから関東大震災とも呼ばれています。

 東京消防庁が、震災対策に本格的に取り組みはじめたのは、昭和30年代に入ってからのことです。
 それまでは、関東大震災の教訓をふまえて、昭和5(1930)年7月に制定した「非常時火災警防規程」(昭和25年9月「非常時災害警防規程」に改正)に基づき、各消防署では震災時の警防計画を策定して、毎年9月1日を中心に震災訓練を実施するなど、防災活動機関としての対策を講じてきました。
 震災対策について科学的検討がなされるようになったのは、昭和30(1955)年9月29日、消防総監の諮問機関として、火災の予防および特殊災害に関する重要事項を審議する「火災予防対策委員会」(昭和47年11月・火災予防審議会となる)が設置され、この委員会のもとに昭和34(1959)年6月29日、大震火災対策に関する事項を調査研究するため、地震に関する学識経験者で構成された「地震小委員会」が設置されたことに端を発しています。
 この小委員会は設置2年後の昭和36(1961)年7月31日、初めての報告書として「東京都の大震火災被害の検討」を発表しました。報告書の内容は当時新聞などのマスコミにも大きく取り上げられ、東京消防庁が他の防災機関等に先駆けて、震災対策に科学的な姿勢で取り組み、また、主導的な役割を果たした意識は大きく、その後各機関が地震対策に着手する端緒となりました。
 一方、東京都では災害対策基本法に基づいて、昭和37(1962)年10月16日東京都防災会議条例を制定し、防災会議地震部会において、関東大震災級の地震に対する被害想定を算定して、住民の避難計画を検討しました。昭和42(1967)年「東京における大震火災の様相と当面の広域避難場所について」と題する第一次答申が出され、火災による被害の様相が明らかになるとともに、都内42か所が広域避難場所に指定されました(平成10年末の避難場所は172か所)。

震災対策関係の書籍
震災対策関係の書籍
 また、東京都は、昭和46(1971)年10月23日、全国に先駆けて東京都震災予防条例を制定しました。
 昭和43(1968)年に入って、2月に「えびの地震」、5月に「十勝沖地震」と大きな地震が連続して発生し、昭和39(1964)年7月に公表された故河角博士の「関東南部地震69年周期説」と相まって、地震に対する関心は大きく盛り上がりました。

 これらのことを背景として、東京消防庁では、地震対策に必要な種々の問題点を解明し、防災機関の先達としての役割を果たし、1,000万都民を震災から守るため、昭和43年9月1日に東京消防庁震災対策本部を設置して、庁をあげて諸対策を推進する体制を整えました。
 次に、平成7年3月までの間に東京消防庁が中心となって推進してきた、震災対策事業の一部を紹介します。

  • 都民および事業所等に対する防災指導の強化(昭和44年8月)
  • 消火器の街頭設置と各家庭への消火バケツ(三角バケツ)の配布(昭和46〜47年)
  • 石油ストーブ等の対震規制(昭和47年3月)
  • 市民消火隊の結成など、地域の自主防災体制の強化(昭和47年7月)
  • 耐震性大型防火水槽など、消防水利の開発(昭和47年7月)
  • 地域別出火危険度・地域別延焼危険度の測定(昭和49年4月)
  • 震災対策重点地域等の指定と震災対策の重点的推進(昭和51年12月)
  • 都市構造の防災化に対する消防施策の反映(昭和52年3月)
  • 延焼シミュレーションシステムの開発(平成元年3月)
  • 地震被害予測システムの開発(平成7年3月)
東京消防庁震災対策本部
東京消防庁震災対策本部
 平成11年末現在、東京消防庁の震災対策は、平成3年2月に策定された「震災対策推進計画(第三次)」に基づき、国の防災基本計画、東京都地域防災計画等との関連性を持たせて、地震火災による人命の安全を確保するための施策を推進しています(下記参照)。
 以上は、東京消防庁の震災対策の一部ですが、次に、地震が科学的に予知された場合の政府の対応等を見てみますと、地震多発国であるわが国では、大規模地震対策特別措置法を定めて、地震防災対策強化地域の指定、地震観測体制の整備、地震防災体制の整備などを行っています。
 特に、近い将来巨大地震の発生が予想される駿河湾から遠州灘にかけての東海地方は、地震防災対策強化地域に指定されており、地震防災強化地域判定会の判定によって、「緊急に地震防災応急対策を実施する必要がある」と認められる場合、内閣総理大臣は閣議に諮(はか)って、「地震災害に関する警戒を宣言する」ことになっています。

 一方、地震予知関係機関の職員や学識経験者から構成されている地震予知連絡会は、全国的にみて、重点的な観測を必要とする地域を指定しています。
 観測地域は、特定観測地域、観測強化地域、観測集中地域の三種類に分かれています。

 「特定観測地域」とは、過去に大地震が起こった記録のある地域、活断層のある地域、最近地震活動が活発な地域、経済的社会的に重要な地域。
 「観測強化地域」とは、観測の結果、地震の前兆ではないかと思われる異常現象が地震の前兆であるかどうかを確認するため、さらに観測が強化される地域。
 「観測集中地域」とは、異常現象が、地震の発生と関連があると認められた地域、ここではあらゆる観測を集中して地震予知に努める地域のことをいいます(ただし、平成11年末現在この地域の指定はない)。
 現在、南関東地方および東海地方は、観測強化地域に指定されており、データーに異常が発見された場合は、さらに観測を強化して、異常を確かめる地域に指定されています。

 地震が起こる度に「震度○」「マグニチュード○」と発表されますが、これは何を基準としているのでしょうか。
 地震に関しての研究は、明治時代に入る以前から行われていましたが、計測的に地震の現象を観察し、また、数理的に地震や地震動を研究するようになったのは、明治時代になってからのことです。明治5、6(1872、3)年の頃、フェルベックという人が日本で初めて、振子を使って地震を計測したといわれています。
 現在、気象庁が行っている地震観測は、明治8(1875)年に、内務省地理局が行った観測に始まるといわれ、明治13(1880)年2月22日、横浜を強震が襲ったことを契機に、翌月の明治13(1880)年3月には、日本地震学会が発足しました。
 地震が起こると必ず発表されるのが震度階ですが、これが作られたのは明治17(1884)年のことで、4階級(微震・弱震・強震・烈震)に分かれていました。
 現在使われている0から7までの「八階級気象庁震度階」は、もっぱら日本だけで使われています。
 なお、アメリカなどの諸外国は、13階級の「改正メルカリ震度階」を用いています。

延焼シミュレーションシステム
延焼シミュレーションシステム
 地震が起こった後、マグニチュード6とか、震度7とか発表されますが、マグニチュードと震度の違いを次に紹介します。
 マグニチュードは地震の規模を、また、震度は振動(揺れ)の強さを表しますが、これでは分かりにくいので、これを電球に例えてみますと、「マグニチュード」は、「ワット」に相当し、「震度」は「ルクス」に相当します。マグニチュードは、一つの地震に一つしかありませんが、震度は、震源からの距離によってそれぞれ異なります。
 マグニチュードは、地震のエネルギーの大きさを、数字で表したもので、「M」という記号を用います。Mが一つ増えるとエネルギーは30倍となり、二つ増えると30×30倍になります。
 例えば、M8.5の地震は、最大級の地震ですが、これのエネルギーは、10万キロワットの発電所が、約100年かかって発電する電力に相当します。また、M6クラスの地震ですと、広島に落とされた原子爆弾と同じくらいのエネルギーになるといわれています。
 一方、震度ですが、以前は体感、周囲の物の揺れ方、被害の状況などに基づいて観測者が判定していましたが、今日では、客観的な値としての震度情報が求められる社会状況から、「計測震度計」が開発され、振動の加速度と周期を機械により測定しています。震度の測定は、体感から機械計測へと変わりました。
 ところで、マグニチュードを基準に、もう一つの呼び方があります。それはマグニチュード7以上を「大地震」、5以上7までを「中地震」、3以上5までを「小地震」、1以上3までを「微小地震」と呼んでいます。
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