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1492年にコロンブスによってアメリカ新大陸が発見される以前に、アメリカ大陸の原住民であるアメリカインディアンは、ミシシッピー川両岸で、トバッコに詰める葉の栽培をしていました。植物の名は、ニコティアナ・タバクムやニコティアナ・ルスティカというもので、ナス科に属し、ブラジルやメキシコを原産地とするものでした。 トバッコとは、インディアン語でパイプあるいはチューブを意味する言葉ですが、スペイン人によって誤って伝えられてtobaccoタバコと発音され、それがやがて植物の名を意味するようになったということです(アルフレッド・H・ダンヒル『タバコ紳士』より)。
たばこが日本へ初めて伝わったのは、
幕府は、火災防止のためばかりでなく、きせるやたばこ入れなどの喫煙具がぜいたくになってきたので、これをいましめるねらいもあって、慶長14(1609)年以降、たびたび喫煙禁止令を出しました。大阪夏の陣のあった元和元(1615)年の禁止令による処罰はきわめて厳しく、たばこ栽培者からは土地を没収すると定めており、特に島津藩では違反者を死刑に処したほどでした。それでもなお「きかぬもの、たばこ法度に銭法度」といわれるほど、内緒で吸うものがあったようです。 このたばこ禁止令も、元禄(1688〜1704)、宝永(1704〜11)のころには緩和されたのか、山城、丹波、伊賀、肥前がたばこの特産地となりました。しかし、喫煙については相変わらず厳しく、大阪では「歩きたばこやくわえぎせるでの労働を禁止」したり、浮浪者は「火道具を所持して、さきざきまでたばこをのみません」という証文を名主にあてて出さなければならないほどの制限がありました。 初めて国産の紙巻たばこがお目見えしたのは、明治2(1869)年で、東京麹町の土田安五郎がつくったといわれています(明治5年ともいう)。明治9(1876)年にはたばこ税が課せられ、明治37(1904)年に至って、たばこの製造専売が実施されました。未成年者喫煙禁止法が公布されたのは、明治23(1890)年のことです。 「たばこは動くアクセサリー」といわれたこともあります。一方、「今捨てたたばこの温度は700度」というほどの危険性を持っています。 昨今、嫌煙・禁煙の機運が高まり、愛煙家にとっては、健康に関する議論と相まって肩身の狭い時代になったようです。平成11年の喫煙者率を見てみますと、男子は54パーセントと60パーセントを割り、女子では14.5パーセントと横ばいであり、男女の平均では33.6パーセントと低下傾向となっています。 平成11年中の東京消防庁管内におけるたばこによる火災は、1,061件で全火災件数の15.7パーセントを占めています。なお、毎年、たばこによる火災は、1,000件前後発生しており、喫煙者率が低下しているにもかかわらず、火災件数についてはほぼ横ばいです。 死者の発生した火災の原因を見てみますと、たばこによるものが最も多く31人が犠牲になっています。特に飲酒酩酊状態で喫煙し、そのまま寝込んでしまったために死亡するケースが多くみられ、昔からいわれている「飲酒による寝たばこは死を招く」は事実なのです。 |