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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典
消防雑学事典
?日本四大絵巻の中に描かれた放火事件

mark  東京消防庁管内では、平成11年中に6,777件(概数)の火災がありましたが、この火災を出火原因別に分類してみますと放火(放火の疑いを含む)が第1位の2,731件でした。これは昭和52年から23年間連続して、火災原因のトップとなっています。
 放火火災は、経済情勢の影響を強く受け、不況時に増加するなどといわれていますが、平成5年のバブル崩壊不況時に東京においては過去最高の件数を、また、全国においてもトップの座を占めるなど、放火が社会事象(あるいは環境など)の影響を受けるのは確かなようで、怨恨や社会に対する不満、家庭不和、精神異常などが放火の主な動機となっています。
 わが国の放火の記録をたどってみますと、多くの人が知っている恋の炎が放火に走らせた「八百屋お七の火事」や、無頼の徒、長五郎が目黒の大円寺に放火した「目黒行人坂の火災」があります。
 しかし、放火によってその名を残したのは、“お七”や“長五郎”ばかりではありません。日本四大絵巻の中にも、放火事件を主題としたものがあります。
 日本四大絵巻とは『源氏物語絵巻』『信貴山縁起』『鳥獣戯画』および『伴大納言絵詞』といわれていますが、この中の『伴大納言絵詞』は、平安京内裏における放火事件を素材とした現存の絵巻物の中で、第一級に属する秀作といわれています。
 伴大納言絵詞の中に描かれている放火事件とは、大納言伴善男が権力争いの末、貞観8(866)年3月10日、平安京内裏の応天門に、火を放ったものです。
 この絵巻物は全3巻から成り、放火火災が発生してからおよそ300年経過した、治承元(1177)年に、常磐光長(ときわみつなが)が、後白河法皇の命を受けて描いたものといわれています。
 絵巻の上巻第一段には、応天門の火災を聞いて駆け付ける検非違使一行の緊迫した様子から始まって、風下の朱雀門から、紅蓮(ぐれん)の炎につつまれる応天門に殺到する野次馬が、リアルなタッチで描かれており、炎上する応天門に続いて、風上の会昌門を背景に茫然自失の表情で立ち尽くす貴族の姿など、放火事件の様相が細かく描かれています。

「伴大納言絵詞」より(出光美術館所蔵)  「伴大納言絵詞」より(出光美術館所蔵)
「伴大納言絵詞」より(出光美術館所蔵)

 外国に目を向けてみますと、キリスト教徒の虐殺などで、暴君の名を冠せられたローマの皇帝ネロは、西暦64年7月19日のローマ大炎上の放火犯として、濡れ衣を着せられているようです。
 大円形競技場周辺のスラム街から発生した火災は、次々に延焼して大火となり、ローマの町の半分以上を焼き尽くしました。その日は6日間(8日間ともいわれる)にわたって燃え続け、完成したばかりの宮殿をも炎に包み込んだのです。
 この火災が、ネロの放火によるものだといわれる理由として、皇帝が大火災を詩にするための実感を得ようとして町に火をつけたのだとか、大火の責任をキリスト教徒になすりつけて虐殺するためにしたのだとかいわれ、小説『クオヴァディス』の材料にもなっています。
 しかし、最近の学者の研究では、ネロ放火説を裏付ける証拠に乏しく、かえって消火や救助、市街地の復興に力を注いだネロの行動からして、暴君ネロという考え方は、検討を要するという見方もあります。
 なお、このローマの大火明暦の大火(明暦3年、当時の江戸の町の大半を焼き尽くし、死者107,000人)、ロンドンの大火(1666年、13,000戸の住宅と、87棟の教会等を焼失)をあわせて、世界三大大火といわれています。



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