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東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典
消防雑学事典
?消防艇と水の消防ページェント

mark  次の数字は、平成11年中に、東京港で扱った入港船などの数です。
入港船乗・降者取扱貨物
35,222隻1,620,000人85,414,000屯

発足当時の水上(臨港)消防署
発足当時の水上(臨港)消防署  東京港は、長禄元(1457)年4月に、太田道灌が江戸城を築いたころから、江戸湊として舟運の便に供されていましたが、著しく発展したのは昭和16(1941)年5月20日に国際貿易港として指定されたからです。
 現在、この東京港をはじめ、河川や沿岸の災害防護に当たっているのは、臨港(旧水上)、日本橋、高輪の各消防署です。
 昭和11(1936)年2月、東京市連合防護団は、警視庁消防部に一艇の消防艇を寄贈しました。この消防艇は、本所区向島須崎町にあった東京帝国大学(現・東京大学)の艇庫において「みやこどり」と命名され、京橋消防署築地出張所に消防職員4人と共に配置されました。これが水上消防のはじまりです。昭和17(1942)年10月1日には東京水上消防署(昭和25年11月17日に水上消防署と改称)が設置され、消防職員90人、消防出張所1所、消防艇4艇の消防力をもって事務を開始しました。
 水上消防署初代署長小池幸次郎氏が機関誌の帝都消防に投稿した「水上消防に就いて」が、当時の社会情勢や水上消防の必要性などを言い表していますので、その一部を引用してみます。
元来火災そのものの本質が生産的なものでなく、消費の最大なものであるが故に、一般には心理的に錯覚が伴い易く、事故が起こってみなければ中々関心を呼ばないといった様な誤謬に陥りやすく、故にその対策は兎角第二義的に流れ消極的に取扱はれ易い。殊に従来火災は観念的に陸地のみのものであって、水上のことに関しては、一般に関心が少しも及ばず、ほとんど水上消防のことは除外されてきた。
 東京港の発展に伴い水上消防の施設は、当然絶対的なものでなければならない。仮に確立した水上消防の施設を等閑(なおざり)に附し、唯単に東京港の発展のみを叫ぶ者があったなら、それは恰も陸上に消防の施設考慮なきに等しき結果となり、頗る危険極まるところであって、現在の東京港の発展状況と相合せ将来『噬臍(ぜいせい)の悔い』を残すに至ることなきや憂慮されてきたところである。
 斯く多年の悩みであった水上消防が、昭和17年10月1日警視庁告示をもって東京水上消防署と名称し誕生したことは、消防史上特筆すべき事項であって国防消防上寔(まこと)に慶祝に堪えない。(以下略)

水上消防出初式(昭和43年)
水上消防出初式(昭和43年)  もう一つ、現在の臨港消防署の玄関に設立由来を標記した碑文を紹介します。筆者の一井氏は、昭和26(1951)年3月に発足した東京水上防火協会の初代会長です。
 「昭和16年東京港が開かれて出入船舶の増加殷賑(いんしん)にともない港湾消防強化の声がおこり当時の海軍省ならびに高橋三吉海軍大将を会長とする水上消防署設立協賛会の熱烈な後援により翌17年10月1日この地に開署したものである。 一井保造謹書
 自治体消防発足(昭和23年3月7日)当時の東京水上消防署の消防力は、消防出張所3所、消防職員171人、消防艇等14艇でした。設立されてから5年半くらいの間にこれだけ強化されたのです。
 水上消防署が現在の臨港消防署と改称されたのは、昭和44(1969)年4月1日です。その理由は、港湾消防体制の強化と消防行政の合理化および能率化を図るためで、それまでは水面を管轄区域としていましたが、これ以後は陸地も管轄区域に組み入れらました。
 平成12年7月末の特色ある消防艇を見てみますと、平成3年に建造された「みやこどり」は、大量放水が可能な119トンの大型化学消防艇で、毎分10,000リットル、7,000リットル、5,000リットルの放水ができる放水銃を備えています。平成4年に建造された「かちどき」、平成5年に建造された「ありあけ」は、40トン級の新鋭化学消防艇で、放水塔が起倒式になっているため、低い橋梁下の航行が可能です。
 また、平成12年に建造された「すみだ」は、40トン級の新鋭の化学消防艇で、放水塔が最高15メートルまで伸ばすことができ、毎分1500リットル放水できる放水銃を2基備えています。

水の消防ページェント(平成12年)
水の消防ページェント(平成12年)  水上消防出初式は、陸の消防出初式とは別に、昭和24(1949)年2月8日、水上消防署前の隅田川で、第1回水上消防出初式を実施しました。以後会場は、隅田公園前の隅田川、浜離宮恩賜庭園前の隅田川、晴海埠頭と移り変わりましたが、毎年実施してきました。
 しかし、20年間実施してきた水上消防出初式も、昭和44年1月9日の出初式を最後に中止されました。それは、同年4月1日の組織改正により、水上消防署は臨港消防署と改称され、水上消防署の消防艇のうち数艇が、2つの消防署(日本橋・荒川)に分散配置されたことなどによるものです。
 昭和45(1970)年からは水上消防出初式に代わって、毎年5月中旬の日曜日に、「東京みなと祭」の一つの行事として、水の消防ページェントを晴海埠頭で行うようになりました。
 「水の消防ページェント」は、船舶の火災予防、水難事故の防止を呼びかけて、船舶火災の消火演習や、船舶が衝突したとの想定で、消防艇・ヘリコプター・はしご車・ 救急車・水難救助隊などによる陸・海・空一体となった救助演習などを行うほか、消防艇の分列航進や五色放水などを行って、水上消防の勇姿を都民に紹介しています。



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