このページの本文へ移動
東京消防庁ライブラリー消防雑学辞典
消防雑学事典
?消防学校教育の移り変わり

mark 般公務員と異なり、特別な職務に就く公務員を教育する機関として、気象大学校、税務大学校、皇宮警察学校などが設けられています。
 東京の消防に従事する職員の教育機関が設けられたのは、明治13(1880)年1月16日、巡査の教育機関として、麹町宝田町に設けられた「巡査教習所」が、明治39(1906)年4月17日、警察消防練習所(芝区愛宕町3−6に設置)と改編され、同教習所において、消防の教育訓練も行われるようになったことに始まります。

 当時、教育を受ける職員は、第一練習生、第二練習生、消防付属練習生に分けられ、第一練習生(新たに任命された消防士、消防機関士)は、各消防署長のもとで二週間以上にわたり「出場準備」、「ポンプ及び水管車運用法」、「馭術」、「地理水利及び大建築物の所在」など、実務上の教育訓練を受けました。
 第二練習生(各所属の消防士、消防機関士の中から所属長が指定した職員)は、警察消防練習所において2か月にわたり、「消防に必要な諸法令」、「消防要旨」、「消防器具、機械の解説及びその用法」、「馬匹の飼育及び馭術」、「救急療法」、「熱電気及び動水学の大意」、「操練」、「実地演習」、「実験法」の9科目の教育訓練を受け、教育終了時には終末試験が行われました。
 消防付属練習生(新たに消防機関手、調場手、消防組員となった者)は、前記の第一・第二練習生に準じた教育を受けていました。
 なお、警察消防練習所が設けられる以前の教育訓練は、各消防分署長(現在の消防署長)などが所属職員(消防組員を含む)に対して、「読み」、「書き」、「そろばん」、「消防及び警察諸規則」、「整列操練」、「ポンプ取扱操練」などを教えていました。
 以下、平成7年3月に、最新の教育施設を備えた消防学校が開校するまでの、消防学校教育の移り変わりなどを紹介します。

消防練習所(半蔵門)

消防練習所(半蔵門)  明治30年代に至ると、蒸気ポンプの国産化が軌道に乗るとともに、消火栓が設置されるなど消防の機械化が進み、これらの取扱いがスムーズに行え、また、社会の進展に対応できる職員を養成する必要に迫られたことなどから、先に述べた「警察消防練習所」から、消防に関わる部分を切り離して、大正2(1913)年6月13日、新たに、現在の東京消防庁消防学校の前身である消防練習所を設置しました。
 消防練習所が設置された所は、現在、英国大使館前の千鳥が淵公園の一画(麹町区元園町三番地先)で、翌大正3(1914)年10月1日、第一期生が入所して教育訓練が始められました。
 練習所の敷地は990平方メートル、建物は延べ面積211平方メートルの木造2階建てで、各階に教室が一室と食堂、寄宿舎などがあり、収容人員は20〜30人でした。
 当時の消防練習所の教育は、現在の初任教育に当たる「消防手授業生」と、同じく現在の消防士長現任研修に当たる「消防手練習生」に対するものでした。
 消防手授業生の教育期間は、2か月間で、教科は、「服務法」、「消防に必要な諸法令」、「見張信号および非常報知機取扱」、「水管車およびポンプ運用法ならびに機械はしごの操法」、「点検および操練」、「馬匹取扱の大要」などでした。
 一方、消防手練習生の教育期間は6か月間で、教科は、「消防および警察法令」、「憲法および民法の大意」、「理科学の大意」、「統計術」、「発動機運転」、「救命術」、「馬匹飼育法及び馭術」などでした。

機関員の講習修了証

機関員の講習修了証  大正6(1917)年になると、警視庁消防部(現・東京消防庁の前身)が、初めて消防ポンプ車を導入したことに伴い、翌大正7(1918)年6月、現在の機関員研修に当たる「機関練習生」の教育課程が設けられました。
 教育期間は6か月(隔日)で、教科は「自動車取締規則」、「機関学の大意」、「自動車の構造および運用」、「理科学の大意」などでした。これが現在の機関員研修の始まりで、大正時代中頃には、今日の消防学校教育の基礎が確立されました。
 消防練習所は昭和7(1932)年10月、創設以来初めて教習生受入れの件で大きな問題に遭遇しました。
 昭和7年10月1日、東京の市域が旧15区から現在の23区の区域に拡大されたことにより、消防署が20署、消防出張所が34所増設されたこと、またこれに伴い1,000人近い職員が新たに採用され、これら多数の採用者に対して、どのようにして教育を行うかということでした。
 その対応策として、急きょ兼務による教官・助教を増員し、消防練習所の他に、麻布にあった逓信講習所、上野の岩倉鉄道学校の2か所を借り上げ、非番員に対して隔日で3か月間教育することとし、不足する分は、消防署において署長などが行いました。

 昭和13(1938)年5月1日、新たに渋谷区幡ヶ谷本町三丁目66番地(現在・東京消防庁本町寮所在地)に、消防練習所が建築落成しました。その理由は、前記のような東京の市域拡張に伴い、消防職員が一度に倍近く増え、これらの職員を教育訓練するのには、既存の練習所では狭く、設備も不足し、また老朽化が進んでいたことなどからでした。
 新しい練習所の規模は、敷地は1,980平方メートル、建物は、木造モルタル2階建てで561平方メートル、教室3室、講堂兼道場、事務室、車庫、訓練場などの設備を備えていました。
 昭和17(1942)年4月18日、東京が初めて空襲を受けたことを契機に、消防職員の増員計画など消防力の強化策が打ち出され、昭和17年に約1,000人、昭和18(1943)年に約2,000人、昭和19(1944)年には約4,200人増員されることになりました。

国立分教場

国立分教場  この計画により、これらの職員を教育する施設として、昭和18年11月8日、それまで警察練習所であった北多摩郡谷保村大字国立141番地1号の施設を、消防練習所の分教場として使用することになりました。
 この施設は国立分教場という名称ではありましたが、敷地は約40,000平方メートル、建物は木造2階建てが7棟、延べ面積26,400メートルという、実にゆったりとした施設でした。このような広さでしたから、戦後の食糧難の一時期、訓練に必要な最小限の広さを残して畑とし、食糧の生産を図ったという話が残っています。
 戦時中、幡ヶ谷本教場と国立分教場には、常時1,000人近くの教習生が入所し、規程上の教育期間は3か月でしたが、諸般の事情から1か月に短縮して卒業させていました。
 昭和20(1945)年5月25日の空襲火災で、幡ヶ谷本教場が全焼したため、これ以後は国立分教場を本教場としました。この施設は、昭和25(1950)年9月28日、現在の地(渋谷区西原2-51-1)に消防学校が設置されるまでは、教場として使用されていました。

 戦後の昭和21(1946)年3月、内務省は、新しい時代に沿った「消防官吏教養規程」を制定して、消防教育の全国的な統一化を図りました。規程に盛り込まれた教科としては、実技的なものは別として、戦前のものとはうって変わって「火災予防」、「公民」、「英語」、「歴史」など、新しい時代にあった科目が取り入れられました。
 昭和23(1948)年3月7日、「消防組織法」の施行に伴い、自治体消防としての東京消防庁の誕生に際し、消防職員の教育機関として、東京都消防訓練所が設置され、同年5月1日、同訓練所に併設される形で、東京消防学校が設置されました。

消防学校(昭和40年代)

消防学校(昭和40年代)  設置当時の東京消防学校は、前記の北多摩郡谷保村大字国立141番地1号に設けられており、いろいろな面で不便をきたしていました。
 このため当時、渋谷区代々木大山町1073番地(現在の消防学校の所在地)に所在し、使用されていなかった日本タイプライター(株)の青年学校施設と、これに地続きの土地を買収し、この施設を利用して昭和25年10月1日、消防学校を開校しました。建物などの規模は、敷地9,988平方メートル、校舎2棟、講堂1棟の計3棟、延べ面積は2,825平方メートルでした。
 昭和28(1953)年3月3日、東京消防学校は、東京消防庁消防学校と改称され、今日に至っています。
 昭和35(1960)年4月1日、東京消防庁が、三多摩地区の消防事務を受託したことにより、消防教育の重要性が一段と増加したことに加えて、校舎の老朽化が著しく、教育需要に対応することが困難な状況となったため、校舎の建替えの検討がなされ、昭和37(1962)年7月には講堂(耐火造・地上2階・地下1階・延べ面積937平方メートル)が、また、昭和39(1964)年8月には、消防学校創立50周年記念にあわせて、校舎(耐火造・地上5階・地下1階延べ面積3,715平方メートル)が建て替えられました。

消防学校(平成7年3月16日落成)

消防学校(平成7年3月16日落成)  昭和40年代に至り、消防行政需要が一段と増加し、また、三部制勤務制度の導入に伴い職員の増員が図られ、このことに対応して、昭和45(1970)年11月、消防学校に隣接したインドネシア留学生会館を買収して、第二校舎として使用することにし、収容能力の拡充を図りました。これにより収容人員は、400人から一挙に800人近くに倍増しました。またこの時季、時代の流れにあわせて、スライド、テープレコーダー、16ミリ映写機などの視聴覚機器を購入し、視聴覚教育を取り入れました。
 昭和50年代の後半に至り、教育施設の狭隘化・老朽化が進み、また、複雑・多様化していく都市災害に対応できる実践的な教育訓練を行うことが難しくなるなど、いろいろな問題が起こってきました。
 そこで、昭和57(1982)年5月に、21世紀に向かって資質の高い消防職員を育成するため、消防学校の将来構想について種々の検討がなされた後、平成4年10月、近代的設備を備えた新校舎の建築に着工し、消防学校創立80周年記念式にあわせて、平成7年3月16日落成式が挙行されました。

 校舎は、第一校舎、第二校舎、総合体育館、訓練施設、学生寮で構成されています。
 校舎の特色を見てみますと、第一校舎の構成は、地域のランドマークとしての存在感を示すように、正面は、消防の原点である「はしご」をイメージした格子を、基本パターンとしています。
 教育設備は、高度な教育ができるように、最新の技術を活用した「CAI(コンピュータを使用して多数の人に教えながら、同時に個別教育する学習システム)」などの機器が設置され、また、予防業務については、模擬消防用設備を活用した実習室、救急救命士養成所として、高度な救急教育を行うための実習室なども備えています。(鉄筋コンクリート造・地上6階・地下2階・建築延べ面積14,173平方メートル)
 第二校舎は、シミュレーションによる、指揮者用の指揮訓練システムを初め、車両および通信整備実習室、模擬運転訓練室などが設置されています。(鉄骨鉄筋コンクリート造・地上4階・地下1階・建築延べ面積2,592平方メートル)
 平成12年4月1日現在実施している教育・研修の種別は、初任教育、幹部研修(初級・中級・上級)、専科研修(特別救助技術・予防技術・機関技術など)、特別研修(科学機動中隊長・OA情報管理者など)、救急救命士養成研修などの5部門のほかに、消防団員教育訓練、職員教養講座、自由研修講座など、消防練習所が開所した当時には予測できなかったほどの、幅広い分野の教育が行われています。

 消防練習所開所以来、初任教育の教育期間の移り変わりをみてみますと、大正時代には2か月、昭和10年代には3か月、昭和21年には6か月と、時代の移り変わりとともに教育を受ける期間が長くなり、平成12年4月現在、専門系・I類採用(大学卒業程度)の消防吏員は9か月、II類・III類採用(短大・高校卒業程度)の消防吏員は1年になっています。
 大正3(1914)年10月1日に第一期生が消防練習所に入所して以来、平成12年4月1日現在、第617期・第618期・第619期・第620期が入校しています。この間初任学生は、総勢45,474人が卒業し、幹部研修などの修了者は、149,816人となっています。



戻る