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消防官募集!!

「その力が明日をつくる。」

消防職員採用案内は、最寄の消防署・消防出張所にございます。

<問い合わせ先>
 昭島消防署総務課管理係
( 042-545-0119(代)  内線 230/231) 
 東京消防庁人事部人事課(フリーダイヤル 0120-119-882  03-3212-2111(代) 内線 4433〜4436)

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昭島消防署のあゆみ


 平成10年12月1日、昭島消防署(昭島市)が立川消防署(立川市・昭島市・国立市)から独立し、誕生ました。
 1本署、2消防出張所、消防ポンプ車5台、はしご車1台、救急車2台、指揮隊車1台、 配置人員160名からスタートし、現在に至るまで日々、災害の発生に備えています。
 消防署員一同、市民の、そして昭島市の明日を守りたいという熱い思いです。

主な沿革
1943年(昭和18年)10月  警視庁立川消防署開設(ポンプ車3台、署員34名)
1944年(昭和19年) 8月  北多摩郡昭和町、拝島村が立川消防署管轄区域に編入
1946年(昭和21年)10月  戦後初の火災予防運動実施
1948年(昭和23年) 2月  昭和出張所(昭和町福島824番地)落成、事務開始
1948年(昭和23年) 3月  自治体消防発足と同時に東京消防庁の前身である東京消防本部が誕生し 立川地区(立川市、昭和町、谷保村)消防本部を設置
1948年(昭和23年) 5月  東京消防本部を東京消防庁と改称
1949年(昭和24年) 1月  立川地区消防本部第1回消防出初式を挙行
1953年(昭和28年) 4月  昭和町に119番回線敷設
1954年(昭和29年) 5月  昭和町と拝島村が合併し、市制施行、昭島市となる。これに伴い、昭和出張所を昭島出張所と改称
1957年(昭和32年) 6月  拝島地区の工場誘致により建物が増加したため、拝島分遣所を開設
1958年(昭和33年)12月  拝島分遣所を出張所に格上げ
1960年(昭和35年) 4月  東京都と立川市昭島市、国立町の間に消防事務の委託に関する規約が成立(多摩地区の消防事務を初めて受託)し、立川地区消防本部を廃止して東京消防庁立川消防署として発足
1961年(昭和36年) 4月  三多摩地区を管轄する第八消防方面本部開設
1966年(昭和41年) 5月  昭和出張所庁舎落成
1967年(昭和42年)12月  第八消防方面本部に指令台が設置され、三多摩地区の119番通報集中化、運用開始
1971年(昭和46年) 4月  立川消防署が二級事業所に格付け昭和出張所に所長が置かれた
1984年(昭和59年) 3月  大神出張所開設、事務開始
1984年(昭和59年) 7月  大神出張所に30m級はしご車配置
1998年(平成10年)12月 昭島消防署開署(立川消防署から分離)、拝島出張所を廃止し、昭島市松原町一丁目14番1号に本署を開設、 昭島出張所を昭和出張所に改称、大神出張所のはしご車を本署に配置

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消防の変遷

江戸

1629年(寛永6年) 「大名火消(奉書火消)」

 三代将軍家光の時代、奉書(老中の名をもって出された命令書)によって非常召集された大名の消防隊が誕生した。



1643年(寛永20年)「大名火消(非常設)」

 徳川幕府は、老中を招いて江戸の防火対策について検討をおこなった結果、「奉書火消」では時代にそぐわないとの結論に達した。
 早速、、奉書火消役の浅野内匠頭ら6人を城中に招いて検討させ、、六万石以下の大名16家を一番から四番までの組に編成 して火消役を任じた。
 また、各大名は、10日間交代で大名自身が陣頭にたって組の指揮をした。



1650年(慶安3年) 「定火消」

 定火消は、4,000石以上の幕府直属の旗本2人の火消役をもって創設された。
 1658年(万治元年)四千石以上の旗本4人に火消屋敷(飯田橋、佐内坂、御茶の水、麹町)が与えられ、幕府直轄の常備消防組織「定火消」が誕生し、さらに1704年(宝永元年)には、10組となり、別名「十人火消」「十人屋敷」といわれた。また、戦場での武将の目印だったものが火消の纏となり、定火消の屋敷の玄関敷台右脇に定紋をつけ、飾られた。



1716年(享保元年) 「方角火消(常設の大名火消)」

 八代将軍吉宗は、譜代大名8名をもって江戸城周辺を2方面に区分し、大手組4人と桜田組を「方角火消」として任じ、江戸城守備の万全を期した。


1718年(享保3年) 「町火消」

 八代将軍吉宗は、江戸南町奉行大岡忠相に奉行令(町火消設置令)を出させ、各名主に対して「町火消」設置の命が伝えられ、「町火消組合」が設置された。なお、「町火消組合」は、1720年(享保5年)に「いろは組」と改められた。

 ※ 「町火消」とは、「いろは48組」と「本所・深川16組」の総称である。


1722年(享保7年) 「所々火消(常設の大名火消)」

 江戸城と徳川家にゆかりのあえる菩提寺等11箇所を指定し、譜代大名11名に命じて、江戸場内と幕府重要地の警備警戒と消防活動にあたらせた。



◎ちょっとしたウンチク話し@
 江戸時代において、「纏(まとい)」、「龍吐水」、「大団扇」、「竹梯子」、「鳶口」、「刺股」、「玄蕃桶」は、火消の七つ道具と呼ばれていました。
 「いろは48組」は、48文字のうち「へ」は屁に、「ら」は陽物に、「ひ」は、火に通じ、「ん」は語呂が悪いということで、代りに「百、千、万、本」の4文字を加えて48組としたものです。
 江戸三大大火とは、1657年(明暦3年)1月18日の「明暦の大火(振袖火事)」、1772年(明和9年)2月29日の「目黒行人坂の大火」、1806年(文化3年)2月4日の「丙寅の大火」のことをいいます。



1868年(慶応4年) 「大名火消の廃止、町火消の存続」

 定火消の役員等によって「火災防御隊」が編成され、軍務官(後の兵務省)に属するこことなった。
 一方、町火消は、江戸町奉行に代わって設けられた市政裁判所に属することとなった。
 しかし、同年7月17日に東京府が設置され、市政裁判所が吸収されたことにより、「町火消」は東京府に属することとなった。


明治

1869年(明治2年)

 「火災防御隊」が廃止され、「町火消」のみが東京の消防の任務にあたることとなった。


1872年(明治5年)

 「町火消」が「消防組」と改称され、新たに39組編成とし、6大区に配置し「○大区○番組」と称するようになった。


1873年(明治6年)

  消防事務が東京府から司法省警保寮に移管された。


1874年(明治7年) 

 1月9日、警保寮が内務省の管轄となり、内務省警保寮が消防事務を行うこととなった。
 1月15日、東京警視庁が設置され、消防事務は東京警視庁に属することとなった。
 1月28日、消防組員に対し、古い思想を打破し規律を正すため、「消防章程」制定。
 12月8日、消防組の詰所である「消防屯所」を25ヶ所に設けた。


1877年(明治10年)

 警察力のすべてを内務省が掌握すべきであるという政府の方針により、1月11日,東京警視庁が廃止され,警察事務は内務省警視局に移管された。同月27日、内務省警視局に東京警視本署が新設され、消防事務を所管することとなった。


1880年(明治13年)

 6月1日、内務省警視局に「消防本部」が創設され、現在の「東京消防庁」の前身となる公設の消防機関が誕生した。


1881年(明治14年)

 1月14日,警視庁が再設置され、「消防本部」は「消防本署」と改称され、警視庁に属することとなった。
 また、消防本署のもとに現在の消防署の前身である消防分署が6署(日本橋・芝・麹町・本郷・上野<旧下谷>・深川)が設置された。


 以後、自治体消防制度が発足(消防組織法 昭和22年12月23日公布、昭和22年12月23日施行に伴い警察から分離独立)するまでの約70年間、消防は、警察機構に属することになる。



◎ちょっとしたウンチク話しA
1875年(明治8年)1月4日、東京警視庁練兵場において東京府内の消防組を一同に集め、第1回東京警視庁消防出初式を行ったのが、東京消防出初式の前身である。



1891年(明治24年)

 警視庁官制の改正により、「消防本署」は「消防署」と改称された。


1906年(明治39年)

 「消防署」は「消防本部」、「消防分署」は「消防署」に改称され、職員の教育訓練のために「警察消防練習所」が設置された。




大正

1913年(大正2年)

 「消防本部」は「消防部」と改称され、「警察消防練習所」から消防に関する部分を切り離し、「消防練習所」を設置した。これが消防学校の前身である。


1917年(大正6年)

 現在の119番の前身となる「火災専用電話」が、初めて設置された。


1920年(大正9年)

 火災報知機が日本橋区(現中央区の一部)の街頭に初めて設置された。


1923年(大正12年)

 9月1日11時58分、関東大震災が発生し、東京府では死者・行方不明者約97,000人、重軽傷者約31,000人、焼失家屋約221,700棟という大被害が発生した。

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